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  • 銀河鉄道の切符を持っているのに気づくということ。
  •  生きているものは100%命のおわりをむかえる。
    それはわかっていることだけど、日々において自分の死を意識することはあまりなかった。
    というより、死についてなんて怖くて考えたくなかった。
    子どものころから死ぬということに恐怖しか感じなかった。
    夜、寝たらそのまま死んじゃうんじゃないかと思って寝られないような子どもだった。

     がんという病気になって、はじめて死をリアルに意識した。
    死を身近に感じるようになった。
    ほんとはこれまでも身近な存在だったけど、その存在を認めたくなかっただけなんだ。

    「生には死あり、死ぬことによって生きているといえる。生死は別ではない。
    我が裡に常時うごめく死を見詰めて生きる人は、生を活かす。
    死を見ぬ人は生を歪める。」
    野口晴哉


     宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という小説が好きで、何度も読み、関連の本や映画、お芝居も観ている。
    小学生のころ、はじめてこの小説を読んだとき、怖くて仕方がなかったのを覚えている。
    子どもながらに、この小説が死について書かれたものだとわかったからだと思う。
    いつのころからか忘れたけど(おとなになってからだと思う)、宮沢賢治が大好きになって、この小説のことも好きになった。

    産まれたときから、みんな銀河鉄道に乗るための切符を持っているんだと思う。
    わたしは、がんになって、この切符がずっとポケットに入っていることに気がついた。
    まだ乗車日は書かれてないけど。

    まだ切符を持っていなかったころの自分を思い出してみる。
    それなりに自分の好きなように生きて、やりたいことをやってきたけど(アリとキリギリスのキリギリスみたいに暮らしてきたかもなあ)、なんだかいつも満たされないような気がしていた。
    満たされるってなんだろう?
    あんなにやりたいようにやってたって、満たされるっていうのとはなにか違う気がして、なんとなく、ぶーぶー文句をいいながら生きてきたように思う。
    生きていることに感謝する、なんてこと、あっただろうか?
    早世した友人のことなどを思うと、自分が生きていることをありがたく思ったことはあったけど、それもすぐ忘れてしまってたよね。

    がんになってよかった、って思うことはやっぱりないけど、まだ日付の入っていない銀河鉄道の切符がポケットに入っていることに気づいたことは、幸せなのかもしれないとちょっと思っている。

    金曜日から宮沢賢治関連のお芝居を3本観たので、こんなことを書きたくなりました。
    またその話は別なときに。


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